"O"で満たして

しどろもどろな毎日も記せばなんかわかんないかな

若くいたい

あるエッセイ*1を読んでいたらこんな一文と出会いました。
「二十代中盤だったか、私も少しはお酒が飲めるようになった頃」
なんのアフォリズムもない、もったいないと高いウイスキーを安いウイスキーで割って飲む、「父の密増酒」を味見させてもらったという筆者の経験を回想する枕にすぎない文章だったのですが、なんかひっかかるんですよね。
私も今二十代中盤だけど、お酒の味わかった気になってんじゃない?もしかしたらまだお酒の味なんてまだまだわかってないんじゃない?

就職当初から肩書きを与えられて第一線に置かれてしまった私には、知らないことを知らないと言える余裕はありませんでした。わからないことや複雑な問題にも、今持ち合わせている知識を統合して悪くない対処法を練り上げるしかなかった。そうして悪くない結果を出し続けるしかなかった。
そんなこんなして、自分の無知と向き合うこともできないまま、降りかかる火の粉を払うのに精一杯で慌ただしく時は過ぎて三年。背負うものの重さばかりが増してしまった。私はこの三年「若手」であったことが一度もなかった。

これは本当に恥ずかしいことだと思う。取り返しのつかないことをしてしまった。
知らないことは知らないって言いたいんです。そして思いっきり叱って欲しかったんです。

知らないということは生きる喜びなのではないでしょうか。私はまだお酒の味も知らないし、街の暖かさも知らないし、人との出会いの素敵さも知らないし、仕事の素晴らしさも知らないんです。だから人生が楽しみなんです。

私はまだ若い。お酒の味もきっとまだわかっていない。

*1:「いたましいともったいない」湯本香樹実